ゴルフな気分-ゴルフクラブの選び方/売れ筋ギア

1860年から始まった歴史あるゴルフのオープン競技。それが、全英オープンゴルフ選手権です。オープンなので当然プロもアマも基本的に出場できます。一般的に、「全英オープンゴルフ」ということで知られていますが、イギリスでは、「The Open」と呼ばれています。

1895年、全米オープンが始まるまでゴルフのオープン競技は、全英オープンしかなかったのでそれでよかったわけです。ブリティッシュ・オープンとも呼ばれます。全英オープンは、ある時期から「R&A」が主催する大会になっています。

ジェームス・フェアリー

スコットランド南西部にあるプレストウィックは、産業革命で活気のある町でした。ここで結成された「プレストウィック・ゴルフクラブ」。私たちが考えるゴルフクラブというと、一般的にゴルフ場を想像しますが、これはいわゆるゴルフ同好会です。

当時は、ゴルフをプレーすることができる広場があれば、そこがゴルフ場だったので、現在のような立派なゴルフ場はありませんでした。そのため、ゴルフコースよりも”ゴルフクラブ(同好会)”のほうが重要視されていたのも納得できます。

しかも、それ以前のゴルフクラブは食事会メインの集まりで、ゴルフはお腹を空かせるための運動だったようです。しかし、これだけ楽しいゴルフです。食事会よりもゴルフをプレーすることにシフトしていきます。これも納得できますね。

そして、ゴルフクラブが自分たちのゴルフコースを持ちたくなるもの自然の流れです。私たちがテレビで見聞きする”ロイヤル・セント・ジョージス・ゴルフクラブ”は、サンドウィッチというゴルフコースだったり、ロイヤル・リバプール・ゴルフクラブはホイレイクというゴルフ場だったりするのです。

プレストウィック・ゴルフクラブ結成の中心メンバーで「R&A」のメンバーだったジェームス・フェアリー大佐。全英オープンゴルフを開催した人物です。

ジェームス・フェアリーは自分の理想とするゴルフコースを作りたいと考えました。「プレストウィック」のコース設計にセント・アンドリュースのトム・モリスを呼び寄せそれに充たらせ、さらに近代ゴルフの基盤となるゴルフ場のメンテナンスにも力を注ぎました。

それまでティーイング・グラウンドとパッティング・グリーンは同じ場所で行っていたのですが(ホール終了後、ホールから1クラブ・レングス以内にティーアップしていた)、それぞれ独立して作ります。今では当たり前でも当時は画期的だったのです。

全英オープンゴルフの始まり

ジェームス・フェアリーはゴルフクラブ、ゴルフコースに留まらず、ゴルフ競技にも力を注ぎます。最初に着手したのが、アマチュアによるゴルフ競技大会。セント・アンドリュースでクラブ対抗戦を企画・開催します。今でいうところのインタークラブのような感じでしょう。

アマチュア競技大会で成功したジェームス・フェアリーはプレストウィックでプロゴルファーによる競技会を開催します(ルールはプレストウィックのルールを適用)。この時、優勝したウィリー・パークを全英オープンの初代チャンピオンとしていますが、実際はこのときは、まだプロだけの競技会だったわけです。

その後、プロもアマも一緒に戦える大会を企画します。すべてのゴルファーに開かれた大会。それが、ジ・オープン。全英オープンの始まりです。ちなみに、優勝したのはトム・モリス。ベストアマチュアはジェームス・フェアリー。ともに「プレストウィック」でした。

始めは、プレストウィックで行われていた全英オープンも、セント・アンドリュースやマッセンバラを加え持ち回りとなり、以降もいくつかのゴルフコースで開催されるようになりました。何となくセント・アンドリュースが最初の大会のような気がしますが、プレストウィックで意外ですよね。