歴史のあるマスターズ・トーナメントには、その時にしか使わない初めて聞く言葉もたくさんあります。
パー3コンテストとは
マスターズウィークの水曜日になるとパー3コンテストがリトルコースで行なわれます。キャディに家族を伴いプレーする選手もたくさんいて楽しんでいます。これから繰り広げられるタフな戦いとはまったくかけ離れた雰囲気の中行なわれます。
1958年、ジョージ・コッブ設計によりクラブハウスの東側に池を囲むようにしてパー3のコースが作られました。この池はドワイド・アイゼンハワー氏(のちのアメリカ合衆国大統領、愛称アイク)がクリフォード・ロバーツに頼んで釣りができるように作ってもらっています(アイクスポイントと呼ばれています)。メンバーの間ではパー3コースをリトルコース、本コースをビッグコースと呼ぶそうです。
1975年、1981年には青木功選手が1988年には中島常幸が優勝しています。ちなみにパー3コンテストの優勝者は本戦では優勝できないというジンクスがあります。パー3コンテストが行なわれる前までは、ドライビングコンテストいわゆるドラコンが行なわれていました。
アイゼンハワー大統領とオーガスタの関係
1940年代、正に混沌とした時代に、オーガスタのメンバーの中では、国を変えようと動きだします。アメリカに嫌気が差し、自由なアメリカを取り戻そうと策をめぐらし始めました。自分たちでアメリカ合衆国大統領を作ろうという動きになったのです。このオーガスタのメンバーから目を付けられた人物がいます。
オーガスタのメンバーの矛先はドワイド・アイゼンハワー氏に向かいます。アイゼンハワー氏をオーガスタに招待し親交を深め、アイゼンハワー氏も毎週のようにオーガスタを訪れるようになります。
オーガスタのメンバーはアイゼンハワー氏を出馬させます。当然、オーガスタのメンバーが選挙参謀を勤め、メンバーの知人たち(大企業の経営者など)を紹介します。そして実質の選挙事務所もオーガスタのクラブハウスだったわけです。
アイクスポイントとは
オーガスタのパー3のハザードは、アイゼンハワー氏がクリフォード・ロバーツに頼んで作ってもらった釣堀です。アイゼンハワー氏はそこで糸を垂らし釣りを楽しんでいます。クリフォード・ロバーツの将来、悲しい因縁の地になります。
アイゼンハワー・キャビンとは
10番ティーの近くに1軒の家が建てられます。これがアイゼンハワー・キャビンです。また大統領警護のため柵も設けられ、クラブハウス内にはアイゼンハワー大統領が仕事に支障をきたさないように執務室も作られています。アイゼンハワー夫人はこのアイゼンハワー・キャビンがとても気に入っていたそうです。
アイゼンハワーツリーとは
スライスが直らないアイゼンハワー氏は17番ホールのフェアウェイに突き出た木(松の木の一種:ロブローリーファイン)を苦手にしていたということで、切ってほしいと願い出ます。しかし、クリフォード・ロバーツは絶対に許しませんでした。現在でもトーナメント中継のときに話が出てきます。アイクを悩ます木ということでアイクツリーとかアイゼンハワーツリーと呼ばれています。
2014年の2月の寒波(大雪)でアイクツリーが枯れてしまい倒木しました。トム・ワトソンいわく昔のプレーヤーは邪魔になったアイクツリーですが、現在の選手は当たり前に超えていくので無くなっても問題ないということです。それでも中には毎年2回は当ててしまうので無くなって清々すると考えているプレーヤー(ジム・フューリック)もいます。
そんなことを考えてテレビを観ると面白いと思います。また、政治にはお金がかかります。アイゼンハワー氏の資金を工面していたのはクリフォード・ロバーツということは有名な話です。